【花粉症】はいつから?どこからやってきた?
国民病とも言われる【花粉症】という言葉が
聞かれるようになったのは、 いつ頃からなのでしょうか?
日本では戦後の1963年頃に初めて花粉症と診断された患者がいました。
原因物質つまりアレルゲンは、「ブタクサ」という植物の花粉という事でした。
しかしながらこのブタクサという植物は、アメリカ進駐軍から日本に持ち込まれて繁殖し、
花粉を飛散させることとなりアレルゲンとなったようです。
ブタクサに続き翌年当たりよりスギの花粉症が報告されています。
つまり、ほんの60年程前からなのですね。
アレルギーの発症と食の時代背景
自論とはなりますが、 時代背景を考えてみると
花粉症と同時に アトピー性皮膚炎やほかのアレルギー症状も
この戦後という時代に急速に増えて行っていると感じます。
その原因は戦後の学校給食を焦点に考えざるを得ません。
日本は食糧不足の為にララ財団(海外事業運営篤志団アメリカ協議会が、
日本・朝鮮及び沖縄の救援事業を行うためにアジア救援公認団体
Licensed Agencies for Relief in Asiaを設置)からの脱脂粉乳の提供があり、
1947年より学校給食が始まりました。
その際の報告には、多くの児童が
脱脂粉乳に含まれる乳糖によって下痢を起こしたとか。
しかしその反面で飢餓から救われたわけです。
1958年には一部脱脂粉乳に代わり国産牛乳を提供
そして1964年には1年を通じて国産牛乳が提供されました。
さらに1950年にはアメリカからの小麦の寄贈によって
8大都市の小学生に完全給食が実施されました。
輸入小麦には当時から他国ではホストハーベストとして
マラチオンやクロルピリホスメチルなどの有機リン系殺虫剤の成分が検出されていると。
これらの食品に含まれる成分等が 子供たちの
アレルギー性疾患増加の一因になっていると考えられるのです。
東洋思想と薬膳
ここまでの話で何が言えるかというと、
戦後の給食の実態を例にすると私が生業としている薬膳や漢方薬など
東洋思想に即していないという事なのです。
薬膳については広義での解釈しかありませんが、
薬膳の膳は食事という意味です。
そして古くから身土不二(しんどふじ)という言葉がありますが
「身と土二つにあらず」 つまりは人間の身体と人間が暮らす土地は一体で、
切っても切れない関係にあるという事です。
季節のその土地で育った食材や
その人の体調に合わせた漢方の生薬を組み合わせる料理が、
健康を作り出しているとも言えます。
それが戦後の給食からは実現していないという事が言えるのです。
昨今では、ホストハーベストなく国産の小麦や米粉を使ったパンなども
給食に上るようになってきました。
給食だけでなく家庭での食に対する見直しも身体を体質を調えるために必要です。
薬膳には誤った食事は病を生んで
正しい食事で病は自ずと癒えると言った考え方が根底にあります。
戦後からの高度成長期から食生活は欧米に習い豊かになったとはいえ、
日本古来の自然環境である大宇宙と身体という小宇宙の
調和が崩れていると感じざるを得ません。
そしてそれらが、この花粉症という国民病を作っているのです。
普段の食事が身体を作っているので、
花粉症に限らず食事の重要性は言うまでもありません。
それでは、どのような食べ物が花粉症を鎮めてくれるかと申しますと、
薬膳の見地から五臓六腑でいう肺・腎に入っていくような食材が良いと考えます。
キノコ類・根菜(れんこん、ごぼう)・菌類(ヨーグルト、納豆)など、
発酵商品や食物繊維の豊富な食材が良いです。
やはりなんといってもバランスの取れた食事が一番なのです。
アレルギー治療に漢方?
アレルギー治療に大切なのは、
どのようなアレルギー症状が身体の中で起こっているのか、
しっかり専門家と相談することです。
漢方薬にもたくさんの種類があり、選ぶのは難しいです。
またその方にぴったりのオーダーメード処方が望ましいです。
氣生薬局では、カウンセリングによる オーダーメード漢方薬や漢方茶がご用意できます。
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